ルワンダ共和国

こんにちは。まりもです。

世界情勢、国際関係について発信していこうと思います🦠

今日は、私が現在留学しているルワンダ共和国🇷🇼ルワンダと聞くと、虐殺を思い浮かべる人もいるかもしれません。

 

ルワンダの国土は四国の1.4倍ほど、人口は1263万人と日本の10分の1ほどです🌎

 

言語は、ルワンダ語、フランス語、英語、スワヒリ語の4つが公用語になっていて、2009年からフランス語から英語に教育言語が変わりました!(そのためマーケットなどへ行くと上の世代の方は、外国人に対し英語ではなくフランス語を話されます)🇫🇷

 

宗教はキリスト教が主で、イスラム教の方も少数ですがいらっしゃいます。日曜日にはほとんどの人が教会に通っています⛪️

また、民族的には、フツ、ツチ、トゥワが存在しますが、虐殺後これらを示す身分証明書は廃止されました。ルワンダで生活していると、民族的な話をすること自体タブーという印象です。

 

歴史的な話に移ります🐢…

 

1890-1916年ドイツ、1916-1962年ベルギーの植民地支配を経て、1961年王制を廃止し、1962年にルワンダ共和国として独立を果たします。

 

独立以来、ツチとフツの抗争が繰り返されてきましたが、1990年にウガンダからRPF(ルワンダ愛国戦線)がルワンダに武力侵攻しフツ政権と内戦をくりひろげ、1993年にアルーシャ和平合意を成立させました。

しかし翌年4月のハビヤリマナ大統領暗殺をきっかけに、フツ過激派によるツチ及びフツ穏健派の大虐殺が始まり、約100日間で、多数の避難民と80-100万人の犠牲者を出し、RPFのルワンダ全域占領で虐殺は終わりを迎えました。

 

現在の政権(RPFが与党)の情報統制もあり、この虐殺のことのみが広く知られているような印象を受けます。

しかし、実は1990-2000年は暗黒の10年と呼ばれており、1994年までの内戦・虐殺だけでルワンダの歴史を語ることはできません🙊

 

1994-1997年は、コンゴ民主共和国の東側にある避難民キャンプで、RPFはフツ過激派の再武装を防止するためフツ族の虐殺を行いました。

そして、1997-2000年には、残っていたフツ過激派がルワンダ北西部で暴動を起こし、政府軍との間にアバシエンゲジ戦争が勃発し、多数の住民が(主に政府軍によって多くのフツ族が)犠牲になりました。

 

これらの事実は、政府側に不利になるため情報統制が進んでおり、これらの虐殺・内戦の生存者は実体験を語ることを禁じられている他、1994年虐殺の生存者のように補償・保護下に置かれていません。

 

現在のルワンダは、国会議員内の女性の割合が61.3%と世界一で、比較的治安もよく汚職が少ないとされています🦒

 

しかし、上記のような補償の格差の問題があったり、街にはライフルを持った警察官が沢山配置されていたり、物乞いをする子供や大人がいたり、、、たくさんの問題意識の種が存在している国でもあります。

 

この記事を読んで、ルワンダに少しでも興味を持って貰えたら嬉しいです🐳✨